北の大地にひっぱられて

北海道が大好きな30代女子の愉快な旅日記

【ひとりごと】3.11。あれから10年。まだまだ、道半ば。

あれから10年経ちました。

ご無沙汰しております。


ブログを書くのが本当に久々。笑



去年から週末家に籠ることが多くなってから


ずっとキッチンに立っていなくちゃ!とか

部屋を片付けなくちゃ!とか


あれやこれやと焦っていると
あっという間に週末が終わり。。。の
繰り返しのSatoRuです(;´Д`)


生真面目すぎるんだろうなぁ(^^;


ここ数か月かけて大幅な模様替えをして
部屋の片づけがひと段落してきたので、


久々に文章を書くリハビリがてら、
ブログを更新です。




また、1年経ちました。


昨年の同時期に更新したブログの通り、
私の東北の太平洋側生まれです。


satoru0212.hatenablog.com


震災当時から1年くらい
海から少し離れた場所でも
海の臭いをギュッと凝縮したようなヘドロ臭が漂い、
あちらこちらに、津波前までの生活用品だった
瓦礫の山があり・・・



『ここで多く人が逃げ切れず亡くなった』


津波の後に人がここで倒れていて…既に亡くなっていた』


『○○の家族が亡くなった』


『(妹の)習い事の先生と旦那さんが津波で亡くなり、学校にいた子供だけが残された』


『○○(私の同級生)の一家が夜逃げした』


故郷へ帰るたび、家族からそんな言葉が
何度も何度もこぼれてきました。



近所に住んでいた妹の同級生とそのご家族、
父の親友や私の同級生のご家族、
その他にも多くの方の訃報が入ってきたり、



新聞やネットニュースでは
被災して、地元の小学校で避難生活をしていた親戚や
勤務先の学校で被災したかつての恩師が
インタビューに応えた記事を何回か目にしました。



私の実家も全壊しましたが
重量鉄骨という造りが幸いして
ボコボコと多くの穴が出来ていましたが、
建物は残りました。


ですがその後泥棒に侵入されて
全壊した家の中にいた猫の一匹が行方不明に。


そんな暗い状況、暗い話題ばかりが
鼻をツンと刺激するヘドロ臭のように
漂っていた故郷でしたが、



瓦礫を片付け、
土地を整備し、
道路を作り、
建物を建て…


少しずつ、少しずつ前を進もうとしています。



2021年、冬。


年末に帰省した時に、両親とドライブがてら高台へ。


地元では『安波山(あんばさん)』と呼ばれている、
『航海の安全と大漁を祈願する』という
由来から名付けられた山。


f:id:SatoRu0212:20210307223042j:plain


皆さんも震災関連ニュースで
何度か見たことがある景色かと思います。



震災前と同様、岸壁に船が多く留まっている。



震災後、大規模な火災が起きて
燃え残った瓦礫が一面広がっていた
平らな土地には、
数年前に建てられた
この田舎に似つかわしくない
大きくて、ほどほどに洗練された
災害公営住宅


震災があったからこそ実現した、
地元住民待望の離島と本土が繋がっている橋。



そして今月開通した、三陸復興道路(高速道路)。



今までこの街は県庁所在地まで
車で3時間近くかかっていましたが、
やっと2時間程度で行けるようになりました。



こんな海の上を通る立派な道路が、
こんな場所にもできたのか。



『高速道路を作るとしたら、どのルート案が良いか』



私が中学生の頃、学校でそんなアンケートを
とった記憶があります。


その当時はまだまだ先の話…と思っていましたが


こんな田舎に、まるで大きな都市にあるような
遠くからでも見えるくらい大きく、
それも海の上を横断する道路ができて
帰省する度、不思議な気持ちで眺めています。


まだまだ、道半ば。


確かに、瓦礫がすべて無くなった。


確かに、大きな街にあるような
ほどほどに洗練された集合住宅が
いくつもいくつもできあがった。




確かに、新たな希望ある未来を
呼び込みそうな立派な道路ができた。



ですが街のいたるところに
いまだ空き地が多く点在し、



震災特需で立て直しを図っていた地元経済も、
コロナの影響で後退しています。






震災前に実家があった場所のすぐ近くに
90年代後半に建てられた橋がありました。



ですが津波で橋の一部が壊れ、
やっと最近元の橋の横に、
新たな橋の建て替え工事が始まりました。



橋の完成は、まだまだ先です。





また昨年のブログでも少し触れた
3.11のときに16歳で亡くなった
妹の同級生の元実家跡地は、


ご家族が今でも定期的に草刈りをしているらしく
周囲がどれだけ私の背丈よりも高い雑草が
ボウボウに生えていようとも
その一角だけは、いつ見ても整備されています。





10年というキリの良い時間が経っても、
震災による尾ひれは、まだ残っているんだ。




いつでも綺麗に整った空き地を訪れるたび、
津波に消えた彼と、そのおじい様おばあ様の
冥福を祈らずにはいられません。







私の故郷もまだまだこれから、
という場所がところどころにあります。


でも私の故郷以上にもっと
立て直しが遅れている地域もあります。



先日、こんなネットニュースを目にしました。

news.yahoo.co.jp



福島県出身のあばれる君。


生まれが矢祭町(関東に近い場所)だったので
津波と縁がない方だと思っていましたが、


親戚が津波でお亡くなりになったそうです。



それも、原発のある相双地域で。



『どこまで進めば復興されたことになるの?』


『まだ被災者でいたいだけ』



そのように感じる方も必ずいると思います。





それでも、せめてこの日だけでも、
どうか耳を傾けてほしい。



そして地震津波の恐ろしさを思い出し、
また同じことが起きたとしても
3.11のような悲しみが
少しでも生まれませんように。



人の数だけ・・・


人の数だけ、3.11に対する想いがある。



不幸競争をせず、互いを否定せず、
互いを受け止められますように。



昨年もブログで書いた言葉ですが、
私の中で、3.11はこの言葉に尽きます。



どうすれば3.11が終わるの…?




それを言ったら、1.17が
いまだに終わっていない方もいる。



中越で起こった10.23だって
3.11翌日に長野で起こった3.12だって
北海道で起こった9.6だってあった。



その他の大きな災害であっても
終わらせてはいけない、
忘れてはいけない、
と思っている人も数多くいます。



自己の中でどのように想い捉え、
矛盾や葛藤で苦しむことがあるでしょうが、


自分の中で折り合いをつけること。


そして少しでも世界をよくするために
微力でも行動すること。



来年の今ごろ、皆が一歩でも
前に進めていますように。



▼2018.9 北海道安平町にて
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今年はとりとめもない、
本当にひとり言のような
3.11の振り返りブログとなりました。



最後までお付き合いいただき、
ありがとうございました。





次回から、また北海道話を進めなければ。。。



久々に家でブログを書いたら、
肩こりが悪化・・・ナンデヤネン


パソコンの画面が明るすぎるのか( ´Д`)?



ブログを外で書きたいなー( ノД`)シクシク…



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